上杉慎吉は「天皇ノ主権者タルコトハ我ガ日本ノ国体ニシテ、人民ガ主権タルハアメリカ合衆国ノ国体ナリ」 [2]と述べている。
東京帝国大学で憲法学を教授していた筧克彦法学博士は、貞明皇后に「古神道及び国体学」に関し皇后宮にて進講。御進講録「神ながらの道」は皇后宮職より公刊。また昭和10年文部省開催の、憲法講習会の講演録「大日本帝國憲法の根本義」を文部省憲法教育資料中の1冊として上梓。同書には以下のようにある。
「皇国神ながらの御主人様。御親様の御威力と皇国大生命の力とは不二たることを貴き性質とする。」
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「天皇様と国家とはもと二元的に相対立せる存在ではなく、神代ながらに不二である。 皇国は、天孫(皇孫)天降りによりて開かれ。開かれし当初より一生命、一徳、一統治権。」「引用は『大日本帝國憲法の根本義』皇学会、1936年。による。」
天孫降臨より皇国神ながらの御主人様つまり国家主体として、天皇がある事をあきらかにした同講演が文部省主催であったことで、国家公認の国体学の権威としての地位をかため、皇太后宮より著作が公刊されたことにも伴い、帝国政府部内の国体説としては敗戦まで批判を許さなかった。
日清戦争の勝利や治外法権の撤廃などを背景に、欧米の論理に囚われない日本独自の国体論が新たな形で登場する。