2009年06月30日

文化大革命が開始された当初は

文化大革命が開始された当初は、日本には実態がほとんど伝わっていなかった。だが、1966年4月14日、全国人民代表大会常務委員会拡大会議の席上で郭沫若が「今日の基準からいえば、私が以前書いたものにはいささかの価値もない。すべて焼き尽くすべきである」と過酷なまでの自己批判をさせられたことが報じられると、三島由紀夫は激怒し、抗議声明を発表した。
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声明では、

「われわれは、左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究をも含めて)本来の自律性を恢復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明するものである・・・学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する」

と述べられ、権力の言論への介入を厳しく批判していたが、賛同者は川端康成、安部公房、石川淳のみで、当時はほとんど無視されてしまった。

一方、当時は海外メディアが殆ど閉め出された中、朝日新聞などは中国国内に残る事が出来た。朝日新聞は、当時の広岡知男社長自らが顔写真つきで一面トップに「中国訪問を終えて」と題した記事を掲載した。

その後文化大革命の悲惨な実態が明るみに出ると、全否定的な評価が支配的となった。それまで毛沢東や文化大革命を無条件に礼賛し、論壇や学会を主導してきた安藤彦太郎、新島淳良、菊地昌典、秋岡家栄、菅沼正久、藤村俊郎らの論者に対し、その責任を問う形で批判が集中したのである。

2009年06月12日

ポパーの科学哲学からの批判

科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。

精神分析学はしばしばこの哲学に基づく批判を浴びることがあるが、精神分析学の方ではポパーの科学哲学に興味を払っておらず、患者の発言内容や表情から治療者の受ける印象のような主観的情報を数値データのような客観的データに置き換えることは基本的に意味がないとしており、その全体性や対象との関係性などを用いて理論を構築している為、ポパーの科学哲学から見て満足の得られる理論ではない。

その主張として例えば、もしあなたが恋人との関係性を科学的にデータ化し、置き換えたとしたら、それは恋人そのもので、再現可能だろうか?そのような問いかけそのものがナンセンスである。簡単な例で分かるように恋人との関係は科学ではないし、精神分析も科学ではない。

ただしこれはポパーの哲学の歪曲である。ポパーのいう科学理論とは検証において白黒・可否のつく理論である。その意味では例えば特定の恋人の関係の理論(例:浮気の有無)が明確に検証(例:第三者との性交)できるのであればポパー的には科学である。ポパーら科学哲学および自然科学者が問題にしているのは、データを数値化できるかどうかではなく、精神分析の理論が正しいかどうかを検証できるのか、検証できないならなぜそれが正しいと言えるのか。さらに医学的にもっと重要なのは精神病が明確に治療されたとの確定は存在するのか。もっとも、いかに反証可能性が科学にとって重要な特徴であるとは言え、科学と疑似科学の差位は段階的なものである為、近代の科学哲学者の多くは科学と非科学を絶対的に線引きする事は不可能だと考えており、例えばデュエムやクワインは「ある仮説を反証する決定的な実験などはそもそも存在しない」と主張している(デュエム-クワイン・テーゼ)。ただし、ポパーはこのテーゼに対する再反論も行なっている。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

催眠などを用いた回復記憶セラピー(2000年頃までに停止)により、偽りの性的虐待の記憶(虚偽記憶/false memory)を植え付けられ、家族関係が崩壊し、それに加えて甚大な精神的苦痛を受けたとして、多くのセラピストやカウンセラーが訴えられ敗訴した。
しかし、これは正確には、精神分析への批判というよりも、フロイトの初期の理論を援用したある種の心理療法への批判であった。また、法廷の中と外では、この記憶戦争(Memory War)に対する評価は大きく異なっている

2009年06月08日

廃置分合と知事・議会議員

合体の場合、関係都道府県の知事と議会議員は失職し、新しく設置された都道府県で知事選挙と議員選挙が実施される。
編入の場合、編入された都道府県の知事と議員は失職するが、編入をした都道府県の知事と議員は失職しない。
分割の場合、廃止される都道府県の知事と議員は失職し、分割後に新しく設置された都道府県で知事選挙と議員選挙が実施される。
分立の場合、分離前の都道府県の知事と議員は失職せず、分離されて新しく設置された都道府県で知事選挙と議員選挙が実施される。
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都道府県の境界変更も、廃置分合と同じく法律(地方自治特別法)によることを原則とするが、次のような場合は「自ら変更する」こととなっている(地方自治法第6条第2項)。

都道府県の境界でもある市町村の境界に変更があったとき
都道府県の境界にわたって市町村の設置があったとき
この二つの場合においては、関係する市町村・都道府県が、それぞれ議会の議決を経て申請し、総務大臣が定めることとなる(第7条第3項)。

従来地方公共団体の区域に属しなかった地域を市町村の区域に編入したとき
市町村の境界変更と同じく、市町村の区域に変更があったことに伴う変更であるからである。

2009年04月24日

乾燥地域

現在温暖な地域の最終氷期最寒冷期の気候は非常に乾燥していて、一般に寒冷であった。極端なケースでは、南オーストラリアやサハラ砂漠南部のサヘル地域では降水量は9%まで減少し、植物相は氷河に覆われたヨーロッパや北アメリカ地域と同じくらいまで減少した。

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比較的影響の少なかった地域でも熱帯雨林は大きく縮小し、西アフリカの熱帯雨林はグラスランド(熱帯性の大草原)に囲まれて「避難するような」状態であった。アマゾンの熱帯雨林は拡大したサバンナによって二つに分割されていた。東南アジアの熱帯雨林地域も似たような影響を受け、スンダランドの東西端以外は落葉林が広がっていたと思われる。中央アメリカとコロンビアのチョコ地域だけが熱帯雨林として実質的に損なわれずに残っていたが、それはおそらく現在でも極めて大量の雨が降る地域だからであろう。

砂漠地域のほとんどはその面積を拡大していた。ただアメリカ西部では例外的にジェット気流が変化して現在砂漠である地域に大量の雨を運んでいた(似たような現象は北アフリカでも起きたとされているが確証は無い)。オーストラリアは移動する砂丘に大陸の50%が覆われ、南米のグランチャコやパナマも同様に乾燥していた。

現在の亜熱帯地域、特に東部オーストラリアやブラジルの大西洋沿岸森林地域 (Atlantic Forest) や中国南部では乾燥化により森林の大部分が喪失し、荒涼としたウッドランド(疎開林)が分布していた。中国北部は寒冷だが氷河に覆われることは無くツンドラと大草原が混在し、森林の北限は少なくとも現在より緯度にして20度南にあった。

最終氷期の海水準低下とその影響
最終氷期の最盛期には、数十万立方kmといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった。海水を構成していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったため、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120mも低下した。その影響で海岸線は現在よりも沖に移動していた。この海水準がもっとも低下した時代、東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成していた。アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され、ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている

ユーラシア大陸は陸続きとなっており、現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていた。また、東シナ海の大部分も陸地となり、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり、対馬暖流の流入が止まったと言われている。この影響もあり日本列島は現在より寒冷で、冬季の降雪量が少なかったと考えられている。北海道では永久凍土やツンドラ、標高の高い地域では山岳氷河が発達し、針葉樹林は西日本まで南下していたと言われている。

最終氷期の気候変動
最終氷期というと長い間続いたと一般には思われているが、実際は短い周期で気候が激しく変動していた(氷床コアの研究において発見され、ダンスガードサイクルと呼ばれる)ことがわかってきた。最寒冷期の状態が続いたのは実際は非常に短い間、おそらく2000年ほどであったと専門家の間では考えられている。最寒冷期の直前は多くの地域では砂漠も無く実際現在よりも湿潤であったようである。特に南オーストラリアでは、4万年前から6万年前の間の湿潤な時期にアボリジニが移住したと思われる。

最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。

最終氷期が終わって後氷期に移行する時に大きな「寒の戻り」がおこり一時的に氷期のような寒冷な気候になった。この時期はヤンガードリアス期(およそ1万3千年前)と呼ばれ、約10年のあいだに気温が約7.7度以上上昇したということがわかっている。これは氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化によって、北半球の氷床が溶解し、大量の淡水が大西洋に流入して海洋・気候のシステムに大きな影響を与えたためと言われている。

2009年04月07日

ゲット・アップ・キッズ

ゲット・アップ・キッズ (The Get Up Kids) やアット・ザ・ドライブ・イン (At The Drive-In) が注目を浴びるようになって徐々にシーンが広がり始めた後、1995年からメジャー契約をしながらもメディア露出を控え、ツアー中心のインディーバンド的活動で徐々にファン層を拡大させたジミー・イート・ワールドは、1999年のアルバム『クラリティ』で実力派エモバンドとしての評判を確定し、さらに2002年にはビルボードHot100で5位に食い込むなど、メジャーシーンでも知名度を上げた。この結果、それまで慎重だったメジャーレーベルも次々とアメリカ各地のインディーバンドをデビューさせ、また、インディーレーベルの中にも(ジミー・イート・ワールド影響下の)人気バンドを複数抱えて商業的に成功するものが現れるようになる。インターネットの普及が進み、若年層でもネット利用が日常化する中、マイスペースのようなSNSをフルに活用し、ライブハウスでの長期ツアー活動を主体とする比較的安上がりなプロモーションで、多くの人気バンドが生まれ続けることになった。マイスペースで数十万単位から100万を超えるメンバーのコミュニティーを持つバンドも数多い。英米の雑誌メディアも、音楽性よりはこれらの活動パターンに着目した括りとして、ファッションを含め「エモ」をめぐる言説を量産し、これがネット経由で再び増幅するという現象が続いている。2006年には、イギリスの大手タブロイド紙デイリー・メールが、ゴシック・ファッションの一種としてエモ・ファッションを紹介し、ゴシック・ロック世代の親に対して子供たちのエモ志向を自殺性向に結び付けて警告する記事を掲載した(2006年8月16日付け)。2007年2月には、米ノースダコタ州のローカル局WDAZ-TVが同様に青少年に有害な性向としてエモを紹介したニュースクリップがYouTubeに掲載されてネットで反響を呼び、さらに5月にはFOXニュースが「エモ・シーン・キッズ」としてライブハウスに集まる青少年とそのファッションやヘビメタ・パンクからの迫害ぶりを報道した。このような報道ではメタル系の音楽もしばしば使われ、かつてのマリリン・マンソンを思わせる反応となっている。メタル中心の英音楽誌『ケラング!』がメタルコアと並んでマイ・ケミカル・ロマンスのようなバンドを紹介していることも、現在のメジャー音楽シーンにおける「エモ」の位置づけを象徴している。

日本では、地方でもロックフェスが開催されて若年層が多数の人気バンドの観覧に動員されるなど平行的な現象も見られるが、若年層のネット利用の中心が携帯電話であり、また、ゴスファッションが人気で先行したヴィジュアル系に結び付けられ、雑誌メディアでは後発のギターロックと対置されやすい扱いになっている、といった条件の違いや言語の壁があり、英米の現象の波及は限定的である。

「エモーショナル」と「男らしさ」 [編集]
エモと分類される音楽に関する議論がわかりにくい原因のひとつは、英語圏白人文化で emotional という語が単に「感情の」という中立的な形容詞形としてだけでなく、「感情的な、クールでない」という意味で、男性の女々しさを非難する語として使われやすいという事情が多分に絡んでいる。たとえば、1972年の大統領選で民主党有力候補だったエドマンド・マスキー上院議員は予備選で涙を流したことをメディアで大きく報道され予備選からの撤退に追い込まれたが、このときの発言をウィキペディア英語版はemotionalと形容している。1990年代半ばの「エモ」の興隆期には、女々しい「エモ」と女々しくない「エモコア」を区別しようとする試みが見られた。「スクリーモ」や「ポスト・ハードコア」への言い換えも同様な動機が背後にあるだろう。最近では「エモ」はemotionalではなくemotive「情に訴える」の省略である、というような説明もなされはじめている。

エモに分類されるバンド [編集]

1990年? [編集]
The Appleseed Cast(アップルシード・キャスト)
The Ataris(アタリス)
At The Drive-In(アット・ザ・ドライヴイン)
AFI (エー・エフ・アイ)
Braid(ブレイド)
Burning Airlines(バーニング・エアラインズ)
Cap'N Jazz(カップン・ジャズ)
Dashboard Confessional(ダッシュボード・コンフェッショナル)
Further Seems Forever(ファーザー・シームス・フォーエヴァー)
The Get Up Kids(ゲット・アップ・キッズ)
Hot Water Music(ホット・ウォーター・ミュージック)
Jawbox(ジョウ・ボックス)
Jawbreaker(ジョー・ブレイカー)
Jets to Brazil(ジェッツ・トゥ・ブラジル)
Jimmy Eat World(ジミー・イート・ワールド)
Joshua(ジョシュア)
Last Days Of April(ラスト・デイズ・オブ・エイプリル)
Lifetime(ライフタイム)
Mineral(ミネラル)
The Promise Ring(プロミス・リング)
Samiam(サマイアム)
Saves The Day(セイヴズ・ザ・デイ)
Sense Field(センス・フィールド)
The Stereo(ステレオ)
Sunny Day Real Estate(サニー・デイ・リアル・エステイト)
Texas is the Reason(テキサス・イズ・ザ・リーズン)

2000年? [編集]
Anberlin(アンバーリン)
Boys Like Girls(ボーイズ・ライク・ガールズ)
Copeland(コープランド)
Chiodos(チオドス)
Fall Out Boy(フォール・アウト・ボーイ)
Faulter(フォルター)
Forever The Sickest Kids(フォーエヴァー・ザ・シッケスト・キッズ)
Ivoryline(アイヴォリー・ライン) 
Last Winter(ラスト・ウィンター)
Mae(メイ)
Madina Lake(マディーナ・レイク)
Mayday Parade(メイデー・パレード)
MY CHEMICAL ROMANCE(マイ・ケミカル・ロマンス)
National Product(ナショナル・プロダクト)
Panic At The Disco(パニック・アット・ザ・ディスコ)
Paramore(パラモア)
PLAIN WHITE T'S(プレイン・ホワイト・ティーズ)
Quietdrive(クワイエット・ドライブ)
Sherwood(シャーウッド)
Sing It Loud(シング・イット・ラウド)
Taking Back Sunday(テイキング・バック・サンデイ)
Truth In Fiction(トゥルース・イン・フィクション)
The Academy Is...(ジ・アカデミー・イズ)
The All-American Rejects (オール・アメリカン・リジェクツ)
There For Tomorrow(ゼア・フォー・トゥモロー)
The Cab (ザ・キャブ)
The Higher(ザ・ハイヤー)
Vanilla Sky(バニラスカイ)
Waking Ashland(ウェイキング・アッシュランド)
We The Kings (ウィー・ザ・キングス)
We Shot The Moon(ウィー・ショット・ザ・ムーン)

フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

2009年03月23日

岐阜方先頭車のモ2330形には乗務員室

2200系一般車との共通点 [編集]
岐阜方先頭車のモ2330形には乗務員室直後の座席と側窓がなく、ロングシートの比率が高い。
車外の号車番号表示はマグサイン風のステッカーとなっている。
車内の客用ドア上部には千鳥配置でLED式の旅客用案内表示装置が設置されている。
旧1600系の概要 [編集]
特急指定席車の一部に使用されていた7000系白帯車の置き換えを目的として1999年(平成11年)に登場した。塗装は白をベースに赤いラインが入ったものであった。先頭車の前面下部には1000系・1200系と同様に「パノラマSuper」の愛称ロゴが表記されている。

先頭部は貫通式となっており、自動幌連結装置を設置したことで2本の編成を連結して6両編成で運転する場合でも車両間の自由な行き来が可能とする予定であったが、運行開始当初は先頭車前位のオーバーハングが大きく、国府駅構内の分岐器を通過する際に破損する欠陥が試運転で発覚したためしばらく使用されていなかった。その後2005年夏の臨時ダイヤ(空港線輸送力増強)を控えて自動幌連結装置の改良が施され、営業運転でも使用されるようになった。本線系の電車としては、先頭部が貫通式となるのは3300系(2代)以来12年ぶりとなる。

車体傾斜制御装置装備を前提として車体幅を2,700mmに抑え、さらに側構の内傾角度と裾の絞りを大きくした。裾の台枠部分のみは垂直としている。1000系と同じく先頭車の全長は20m級であるが、台車中心間を短くオーバーハングを長く取ったことから吉良吉田駅にも入線可能であった。
ミクロ ノミネー トップ ミゼラブ パビリ フルセッセ 南瓜 シナプス ブーツ ドミニ しんちょ じょうへん ビデア ころどこ ノーシード ククル シューズ ピリミジン レーシズム オーバ モチノキ ジョーンズ ティマイオ サファリジ ウイグル ストリ サーチ バーボ ダイパーズ 勿忘草 サイドス るじゅつ テキサス デビル ゴジラ しいたけ リスト きびざけ にしき パンハ ミラクル ジオラマ オートマト テディー ヒメウ シャツラ サニー ルーム フランベ 湾岸

屋根の高さは3100系以降の限界拡張に基づいて1000系より65mm高くなっている。この車体断面形状は2000系・2200系などにも受け継がれた。また、連続型の側窓が本系列から復活したことや、特別車として両開き扉を初採用したことも、特徴として挙げられる。側窓の天地寸法は850mm、窓框高さは715mm、床面高さは1140mmである。冷房装置は集約分散式で能力は1000系と同じ15,000kcal/h×2のロスナイ併用だが、室外機カバーは連続形となった。

電動車を3両編成中1両のみとするため、3500系・3700系・3100系よりもモーター出力を向上させたが、雨天時などに車輪が空転しやすいという問題も浮き彫りにした。

本系列の開発の段階では、中部国際空港への旅客輸送と当時有料特急の昼間の輸送力の適正化も考慮され、従来の1000系より1両少ない3両編成となった。4本(計12両)が1製造年次で投入された。なお、本系列により有料特急に7000系が不要となったことによって有料の列車がすべて専用の設備を持つ車両になり、同年のダイヤ改正をもって「指定席車」は「特別車」に改称されたため、本系列は最初から「特別車」として運行されている。

後の車両へ反映すべく、空気ばねによる車体傾斜制御装置を1601Fに導入して試験を行った。その成果が反映されたのが2000系である。

名鉄の車両で初めてユニバーサルデザイン対応の洋式トイレを設置した。

前面種別・行先表示器の種別色は、当初1200系や1000系の英字併記字幕などと異なり白だったが、空港線開業に伴い特急が赤、快速特急が白に変更された。臨時に急行や準急、普通に使用される際は種別のみ表示され、行先は表示されない。また前面前面種別・行先表示器自体も30コマしか設定されていないため、特急または快速特急でも表示できない行先を設定すると前面は種別のみの表示となる[10]。

2008年12月27日に実施されたダイヤ改正での列車種別の見直しに先立ち、余剰となるク1600形が廃車となりそれ以外は1700系に改造され、新造された2300系との混結による6両組成となった。

旧1600系の運用 [編集]
初期の計画では、本系列も3500系などと編成を組み、一部特別車の急行で用いる予定であったが、後に2200系を使用する一部特別車特急の運行に変更されたため、中部国際空港開港以後空港線への入線は繁忙期やトラブル発生時に限られていた。

2005年は、4月8日に3両で名鉄岐阜 - 中部国際空港間、ゴールデンウィーク(4月27日 - 5月8日)・旧盆・年末年始には6両で新鵜沼 - 中部国際空港間で快速特急として運用されていた。2006年度以降は2000系が増備されたため、空港特急での使用はなくなった。

2005年以降は主として名鉄名古屋 - 西尾間で運転されていたが、朝夕には津島線を経由して尾西線佐屋まで、また西尾線の終点吉良吉田まで運転されていた。就役から同年1月29日のダイヤ改正までは前記の目的により上記のほかに犬山線・常滑線・河和線・知多新線で乗客の少ない日中時間帯の特急や朝夕に運転された常滑線の特急にも用いられ、また同年初めまでは豊川線にも入線し、正月の豊川稲荷発着の臨時特急や新鵜沼(岐阜基地航空祭開催時は三柿野)発の定期特急(平日の上り1本のみ)に運用された。

2008年2月10日に運転された団体臨時列車「名城大学鉄道研究会35周年記念号」は、1601編成を使用して名鉄岐阜 - 須ヶ口間を各務原線・犬山線経由で運転したため、各務原線では久々に本系列が入線した[11]。

同年6月29日のダイヤ改正で西尾線の特急は1往復を除き快速急行に格下げされた[12]ため、1600系としての定期運用は終了した。

主要諸元(1600系新製時) [編集]
起動加速度:2.0km/h/s
減速度:3.5km/h/s(常用)/4.2km/h/s(非常)
営業最高速度:120km/h(130km/h準備)
設計最高速度:145km/h
平坦均衡速度:130km/h
主電動機:かご形三相誘導電動機、東洋電機TDK6381-A(200kW・1,100V・130A・2,957rpm)
歯車比:6.07
制御装置:VVVFインバータ制御(IGBT素子)1C1M個別制御×4群
定員:152名

編成 [編集]
1700 - 2300系(一部特別車)

←豊橋・河和・中部国際空港 名鉄岐阜・新鵜沼→
モ1700 (Mc) - サ1650 (T) - サ2430 (T) - モ2480 (M) - サ2380 (T) - モ2330 (Mc)

※1700 - 2300系は豊橋・河和・中部国際空港方2両が特別車、名鉄岐阜・新鵜沼方4両が一般車。

1600系(全車特別車)時代の編成

豊橋・西尾 ←名鉄岐阜・名鉄名古屋→
ク1600 (Tc) - サ1650 (T) - モ1700 (Mc)

1700系として使用されている2両は、改造にあたり豊橋方に連結されるため枇杷島の三角線で方向転換され、前記したように舞木定期検査場にて改造施工後、順次塗色変更が行われ一般車と連結された。

2009年03月07日

ペンサコラ級重巡洋艦

ペンサコラ級重巡洋艦( - きゅう じゅうじゅんようかん、Pensacola class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍の重巡洋艦の艦級である。アメリカ海軍がワシントン軍縮条約の制限下で設計し、当初は軽巡洋艦として建造された。ロンドン軍縮条約の締結後、艦種の類別を変更されてアメリカ海軍初の条約型重巡洋艦となった。2隻とも戦後になってビキニ環礁で行われた原爆実験の標的艦にされた。

当初、ペンサコラ級はワシントン条約下、軽巡洋艦(それぞれCL-24、CL-25)として条約制限であった基準排水量10,000トン以内の9,100トン、8インチ3連装4基12門で建造される予定であった。しかし、艦幅の拡大を抑止するため艦首側と艦尾側の砲塔を3連装から連装に改められ、艦首から一番砲塔は連装、二番砲塔と三番砲塔は三連装、四番は連装の8インチ砲計10門に抑えて建造された。1929年から1930年にかけて竣工し、ロンドン軍縮条約が締結されたため1931年7月に艦種を重巡洋艦に分類される。

艦体
船体形状は同時期のアメリカ海軍の駆逐艦「クレムソン級」と同様の艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。艦首から新設計の「Marks 9 20.3cm(55口径)砲」を連装砲塔に納め艦首甲板に1基、その背後に3連装砲塔1基を背負い式配置した。その上に司令塔を組み込んだ艦橋を基部にもつ開放型の三脚式前檣が立つ。三脚檣の背後に2本の煙突が立っているが、本級の機関は前級に引き続き「シフト配置」を採用しているために煙突の間は広く取られており、煙突の周りは艦載機の運用スペースとなっており、カタパルトを片舷に1基ずつ計2基配置した。艦載機は2番煙突の基部に付いたクレーンにより揚収される。高角砲は前部艦橋と後檣の左右に左右1基ずつ配置され片舷2基計4基配置された。2番煙突から後ろは簡便な単脚檣があり、その背後に後部艦橋と艦首甲板と180度逆に3連装砲塔と連装砲塔が背負い式に艦尾甲板に配置された。

なお、本級は前述の通り3連装砲塔を上部に配置しているが、3連装砲塔は艦橋と後部艦橋に接近して配置されたため、舷側に向けて斉射した場合は爆風と衝撃波が上部構造物を襲い破壊した。このため、後に近代化改装を行い上部構造物の補強工事を行ったが、これに伴う重量増加で更なるトップヘビーとなり動揺性の悪化と船体の沈降による主装甲帯が沈下してしまった。

また、排水量を9,000トン台に抑える皺寄せは巡洋艦に必要不可欠な外洋航行性能に及び、低い乾舷からくる凌波性の悪さは海軍の師匠たるイギリス海軍からは前大戦時の軽巡洋艦と航行性能を比較される始末であった。また、「オマハ級」同様に本級も船体内部の容積不足が指摘されており、特に乗員からは士官・水兵双方から居住性不足の意見が設計局に出ている。

主砲について
主砲は新設計の「Marks 9 20.3cm(55口径)砲」を採用している。性能は重量97.5 kgの砲弾を最大仰角41度で29,130mまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角41度・俯角10度で、旋回角度は船体首尾線方向を0度として左右150度の旋回角度を持つ。発射速度は毎分3?4発である。同世代の重巡洋艦が主砲門数が8門であったのに対し、本級は10門と言う強力な火力を有していたが、前述の動揺性にも凌波性にも劣る船体のために主砲散布界は広く、せっかくの10門という火力を有効に使えたとは言いがたいものであった。

高角砲、その他の備砲について
高角砲は「12.7cm(25口径)高角砲」を採用した。この砲は24.43kgの砲弾を最大仰角85度で高度8,352m、対艦用として仰角45度で13,259mまで届かせる性能があった。旋回と俯仰は電動と人力で行われ、左右方向に150度旋回でき、俯仰は仰角85度・俯角15度で発射速度は毎分15?20発だった。これを単装砲架で片舷4基計8門を搭載した。他に主砲では対抗不能な相手への対処として53.3cm水上3連装魚雷発射管が片舷1基ずつ計2基装備された。後に、対空兵装の強化により12.7cm高角砲は倍の8基8門に加え、40mm(60口径)機関砲4連装4基に20mm(70口径)機銃20丁、12.7mm機銃8丁が追加されたが、これの代償として魚雷兵装は撤去された。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

防御
本級の防御力は同世代の英仏の重巡洋艦よりも防御力は強固であった。舷側の水線部装甲は英仏の重巡洋艦が25?30mm程度であったのを本級では64mm装甲を奢り、これを上下幅4mの範囲に装着し水面から高さ2m・水中に2mの範囲を防御できた。しかし、甲板防御は25mmで英仏と同等の厚さである。特筆すべきは弾薬庫防御で主装甲とは別個で舷側102mm、上面38mmの装甲で弾薬庫を覆い防御していた。対水雷防御は弾薬庫の側面部のみ1層の燃料層で防御しているのみで、区画細分化や浸水対策は不充分であった。

機関
本級の機関は高温蒸気を使用するホワイト=フォスター式重油専焼水管缶を8基とパーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進で最大出力107,000馬力、速力32.5ノットを公試で発揮した。本級の機関配置は前述の通りシフト配置方式で艦首からボイラー2基ずつ収める第1缶室と第2缶室の背後にタービン機関2基を収める第1機械室、水密隔壁を挟んで第3缶室と第4缶室の背後に第2機械室の順番で配置した。本級はオマハ級より継承されたシフト配置により前述の脆弱な水中防御を機関配置で補っていた。

艦歴
竣工後はカリブ海、ペルー沖や太平洋で訓練にあたった。開戦時、ペンサコラは南太平洋で警戒任務に従事し、ソルトレイクシティは航空機の輸送を行った空母エンタープライズの護衛中で、真珠湾攻撃が通報されると捜索に協力したが発見することはできなかった。その後、ペンサコラは南太平洋海戦に参加した後、ルンガ沖夜戦で日本海軍の攻撃で大破し、行動不能に陥ったが沈没は逃れ、島に寄り添って隠蔽された。修理の後、1943年11月には戦線復帰し、ギルバート諸島攻略に参加。ソルトレイクシティは東京空襲で空母ホーネット、補給船団護衛中の空母ワスプの護衛など緒戦は空母機動部隊の護衛に従事した後、サボ島沖海戦、アッツ島沖海戦などに参加し、アメリカ海軍水上戦闘(打撃)部隊の一員として重要な役割を担った。

その後は両艦ともにレイテ沖海戦、硫黄島攻略、沖縄戦などに参加し、終戦後の1946年7月、原爆実験の標的として使用され、損傷した。ペンサコラは1948年11月に処分され、ソルトレイクシティは同年の1948年5月に標的として使用、沈没した。

ペンサコラは東京ローズから「グレイゴースト(灰色の幽霊)」と呼ばれた。

2009年02月19日

ボーグ(Borg)

ボーグ(Borg)は、『スタートレック』シリーズに登場する、架空の機械生命体の集合体である。
ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

初出は『新スタートレック』である。その最大の特徴は、侵略の対象が「文化」や「技術」その物にある点にある。領土や財貨、個人といった物には興味を示さず、特定の種族の持つ、文明、文化、そのものを吸収同化していくという特徴は、ボーグを従来のSF作品に登場する侵略型エイリアンとは、一線を画す特異な存在へと昇華させた。物語中、ボーグは、冷酷無比に同化と呼ばれる強制的なサイボーグ化と洗脳とにより、自組織へと他のヒューマノイド(人間)を取り込もうとする存在として描かれた。ボーグは全メンバーの意識を常時共有している性質上一人称単数の意思は存在せず、常に自分たちの事を「我々」と表現する。これは1人だけを相手にしていてもその個体はこのように表現する。同化の際に「我々はボーグ。お前たちの生物的特性と科学技術は我々と同化する。お前たちの文化は我々と同化する。抵抗は無意味だ」という一方的通告をしてくる事で知られている。

ボーグらは、一辺数キロメートルにも及ぶ巨大な宇宙船に乗り、宇宙空間内をワープおよびトランスワープを使って高速で移動する。これらボーグ宇宙船は立方体型をボーグキューブ、球状体型をボーグスフィアと呼ばれ、様々な星の知的生命体を同化して、その科学技術を吸収する事で自己進化を推し進めている。

彼らは極めて向上心溢れる種族という解釈も出来るが、「向上心」は個人の意思を前提としているので当てはまりづらい。「完璧生命体」(en:Parfect organizm)を目指しており、したがってもはや向上のために同化するのか、同化のために向上を余儀なくされているのかすら不可解でもある。

征服する意思集合体であり侵略集合体に見えるが、これも侵略される側が個人の意思を持っているからでありボーグ意志体にしてみれば親切を施しているとも受け止められる行動を見せた事もあった。 ボーグのフレーズ「我々はボーグだ」(We are the Borg)、「お前達を同化する」(You will be assimilated)、「抵抗は無意味だ」(Resistance is futile)は、しばしば方々でパロディが見られる。例えば、技術系ニュースコミュニティサイトの主要な一つであるスラッシュドットでは、マイクロソフトが様々な市場を自社製品で制していったことをボーグの同化活動になぞらえ、同社に関するトピックのアイコンは「ボーグインプラントをつけたビル・ゲイツ」としている(→ハッカー文化)。

ドローン
ボーグに所属する生命体のことを「ドローン」と呼ぶ。なおドローン((英)Drone)は、元々は雄蜂など社会性昆虫における繁殖を担う個体群(→(英)Drone (bee))のことだが、無人探査機もこう呼び、むしろボーグにおけるドローンは後者の意味合いで、集合体における末端レベルでの調査や各種作業といった活動をするシステム端末のイメージが強い。各々のドローンは生体と機械とが融合しており、物理的に不可分である。また一体のボーグが周囲の生命体を同化する事でも仲間を増やす事が出来る。

ドローンには個人という概念がなく、脳に直結された通信装置で常に情報を共有している。この通信内容は見聞きした感覚的な情報から、考えたり思ったりした事までもを伝え合っている。なおこの通信は特定の対象のみに通信を送る双方向通信ではなく、無意識・無制限のブロードキャストである様にも見えるが、情報分配効率は極めて高く、内容インデックスが付け加えられているのと、優先順位の位置が決まっているデータベースと見受けられる[要出典]。

知識や経験といった人間の社会では個人に属する情報までもを共有するという極めて共産主義的なボーグには自分という概念が無く、集合体という共有意識をもって活動している。そして各々のドローンは、その組織内の一部品として扱われ、また死んだボーグ・ドローンに蓄積された情報は常にボーグ全体に伝えられているため、ドローン個人の死はボーグ社会(集合体)ではあまり気にされない。ただし『新スタートレック』では、事故によって集合体から断絶してしまったために、集合体から完全に取り残されてしまい、各ドローンが1701-Dのピカード艦長らにより『個人』と言う概念を与えられ、精神的に個人として自立しているという一団も登場した。

ドローンは一定期間活動した後、所定の装置(再生ユニット)に入って立ったまま休む(再生と呼ばれる)。この間、ドローンの意識は無い状態で、またドローン自身のセンサーも休眠状態にあるが、この間も脳内通信機による情報交換は活発に行っていて、再生を終えたドローンはすぐさま所定の仕事を行う事が出来る。

肌の色は概ね土気色→青ざめているのは体内のナノマシンによってボーグの最効率優先精神により、生体組織の維持にエネルギー消費率を最低限まで抑えられている事による。したがって毛髪は毛根を維持できうる範囲までは至って無い事が明らかである。

同化と繁殖
ボーグは同化という特殊な方法で仲間を増やす事が出来る。同化とはヒューマノイド生命体の体内に、ドローンが「ナノプローブ」という極小機械を注入する方法である。

同化されたヒューマノイドはすぐに全身にインプラント(埋め込み装置)が出現し、これに伴って脳内の通信機も形成されるため、個人という意識がなくなり、集合体の一部となる。またボーグは同化により繁殖が出来ないときには、人工授精により仲間を増やす事が出来る。通常の生物のようには繁殖せず、恋愛の感情は精神同一集合なので普通の人間の様に抱くことはない。

人工受精の際には胎児の段階でナノプローブを投与されており、人工的な装置の中で育成されるが、自分で動けるような年齢に達するとこの装置から出され、仕事が与えられる。なおドローンは必要な情報はいつでも集合体の記憶装置から与えられるため、義務教育などの一般的な学校制度もない。

集合体の社会
ボーグ集合体には、全体の支配者として女王(ボーグ・クイーン)が存在しており、各戦艦には独立した女王が存在している様に見えるが、各女王は次元を超越して存在する一人の支配者の影に過ぎない。その社会はサムライアリ等の社会性昆虫のそれに酷似しており、日々、他知的生命体の同化活動に邁進している。

ボーグは同化していない種族を見つけると、その種族の程度を調査し、同化に値する価値があると判断した場合には、すぐに同化する手段に出る。彼らが同化をする理由は、非の打ち所のない完全なる生命体を目指しているからであり、同化により新たなテクノロジーを吸収していく。ただし彼等の興味は、あくまでも対象が持つ科学技術や知識であるため、文明のレベルが低く同化する価値がないとみなされた種族は、その存在が無視されることもある。また個人や個体には興味を示さないため、ボーグキューブに人間が入り込み活動を行っても完全に無視している。ただし、ボーグに対して敵対的な行動をとれば、直ちに排除対象となり苛烈な攻撃にさらされることになる。

ほぼ日常的に他知的生命社会への襲撃と同化と言う略奪行為によって日々を過ごしており、技術的な開発を除いては、ボーグ自身が文明と呼べるレベルの創造的な活動を行うことはない。いわゆる文化や芸術と呼ばれる、非生産的だが情動に働きかける要素に価値を見出している様子も見られず、このためボーグの生活において個体が精神を楽しませる芸術的な活動をしていたり、ボーグキューブやスフィア内に装飾がなされている様子も見られない。技術面における機能性と効率を最重視した結果、それらのボーグ関連施設の内部は工場や大規模工業施設群に酷似する。

ボーグ・テクノロジー
彼らには武器に対応・適合する能力があるので、同じ武器は数回しか通じず、倒しても次々と他のドローンが転送されてくるので、襲撃を受けた場合、ほぼ同化は免れない。なお『新スタートレック』においてエンタープライズのクルー達は、発射のたびに自動的に変調するフェイザーを用いてボーグの対応を混乱させ、被害を最小限に留めることに成功している。

『スタートレック:ヴォイジャー』では、同化を拒絶してしまうほどの免疫力を持った種族(生命体8472)が現れ、技術の吸収ができなかったボーグは、一方的に撃退され続けた。また、『スタートレック:エンタープライズ』の時代でナノプローブはオミクロン粒子に弱いことが判明し、実際ナノプローブを注入されたフロックスは、自身の体にこれを照射して完全に除去することに成功しているが、後の時代で通用するかは不明である。ただし、治療を受けたドクター・フロックスは身体構造が地球人と異なるデノビュラ人だからこそ行えた治療である可能性が、後のシリーズとの適合性を考慮すると高い。

なおボーグのテクノロジーは記憶バンクに蓄えられカタログ化されている様子も見られ、一度受けた現象(攻撃を含む)に対する対応を過去のデータと照合、対応策を導き出す事ができる。しかしこの照合システムは何らかの現象に遭遇した際に、これを観測・分析してからでないとならないため、どうしても受動的である。このため即興的なアイデアを実行に移したりといったことができない。また極めて同質性の高い社会のため、例えば生命体8472による襲撃など、従来のパターンでは対処できない敵と対峙した場合には、極めて短期間の間に大規模な被害を受けることもある。一定の周期性がある現象への対応は得意であるが、完全に乱数的に現象が変化しつづけている流動的な事態には、対応不能に陥ったりもしている。前述の自動変調フェイザーによる防衛も、この変則的な事態に対応しにくいボーグの弱点が露呈したものとみなすことができる。 また、耐性を作るためには最低1回の攻撃を受けなければならないため、ハッキングやコンピューターウィルスのように、1回で集合体全体に影響が及ぶ攻撃も、不得手とするようである。

ボーグの対外的評価など
ボーグに捕まった生命体は、すぐさま同化という処置が施され洗脳される。これは言い換えれば個人の人格を殺す事でもあるため、多くの作中に登場する種族の間では殺人以上に忌み嫌われている。しかしその技術は高く、しばしばボーグテクノロジーは他種族の関心の的となる。

個々のボーグドローンが置かれた環境で性質的に変化する場合もあり、この辺りはストーリーのエッセンスとして度々扱われている。

ロキュータス
個人という人格を持たないボーグは、宇宙艦隊に対するスポークスマンを必要としたためジャン=リュック・ピカードを拉致。ボーグの代弁者ロキュータスへと改造した。

通常はドローンとされたものの人格は破壊されたに等しいため、期間の長短にかかわらず、人間の生理機能に完全に戻すことは非常に困難となるが、ピカードの場合は、艦長としての知識と経験を利用する必要から、彼の自我を破壊する程の同化は行われなかった模様である。結局はかつての部下にドローン・ピカードは奪取され、後の治療で人間に戻ったが、逆にロキュータスであった際の言動もピカードは明確に記憶しており、ウルフ359の戦いで幾千もの同胞を死に至らしめた事実はピカードの大きなトラウマとなった。

ブルー(ヒュー)
アーゴリス星団に不時着したボーグ偵察船からU.S.S.エンタープライズDに回収される。

ボーグ集合体から離れクルーと接する事で、自我が確立され、サード・オブ・ファイブ (Third of Five) が正式名称だが、ジョーディ・ラ=フォージによって「ブルー(原語ではヒュー)」と名付けられた。彼は人間社会の中で温和で思慮深い性格を身に付けた。

エンタープライズのクルーは葛藤はあったものの、最終的には悪意なくブルーを集合体に返すが、ボーグ内では異質の存在であり、周囲の者までもが彼の考えや態度に影響され、自我に目覚めさせられることとなった。集合意識ではない「個」の概念に直面した彼らは自己の存在意義や存在目的を見出せず、混乱はブルーのいるキューブ全体に波及し、バラバラの状態となった。

そこにデータの兄であるローアが現れてリーダーとなったことで事態は収束する。しかしローアは自分の掌握したボーグたちを使って事件を起こす。

セブン・オブ・ナイン
『スタートレック:ヴォイジャー』に登場したセブン・オブ・ナインは、幼い頃にボーグに同化され、この両親諸共同化したボーグの中で育った一人だが、その両親はボーグを研究しており、しばしばドローンを転送で捕獲しては調べていた。その研究の様子を描写したシーンによれば、ボーグの探査装置には一定の癖があり、上手くシールド調整をすればボーグキューブからの探索を逃れられるとしている。また同シーンでは、ボーグは宇宙船に窓を設けて宇宙を眺めたりしないので、センサーさえ騙せればボーグキューブに接近しても感知されないともしている。このほかボーグドローンの脇腹装甲板の裏側にはスイッチがあり、これを手動操作することでドローンを休眠状態にすることができる模様だ。

ヴォイジャー作中において、ボーグドローンとしてのアイデンティティを持つセブン・オブ・ナインは、生命体8472に対するボーグとU.S.S.ヴォイジャーの共同戦線のために連絡役として派遣され、問題が解決するとヴォイジャーの同化を命ぜられた。しかし逆にヴォイジャーのクルーらに捕獲され失敗、集合体から切り離されてしまったためにヴォイジャーに残ることとなる。そこで普通の人間としての生活を余儀なくされたが、キャスリン・ジェインウェイ艦長や他のクルーと生活する内に、人間らしさを取り戻している。しかし最初の内は集合体内では絶えず周囲にあった集合体意識が無くなったために混乱し、強い孤独感を訴えたりしていた。なおセブン・オブ・ナインは後に同化を強要するボーグのあり方に反発、ボーグクィーンと対峙してジェインウェイを助けた。またデルタ・フライヤー開発では、自身の持つボーグテクノロジーを提供したりもしている。

生命体番号
ボーグは他の種族に、「生命体番号」と呼ばれる独自の番号を付け、種族名ではなく、「生命体●●」といった具合に呼称している。生命体番号が付けられるのは遭遇時の瞬間であり、未だ同化が成功していない種族にも番号が付けられる。シリーズ中、判明している生命体番号は、以下の通りである。

生命体125 - 種族名不明(ボイジャーに登場するボーグ・クイーンの種族)
生命体180 - フェレンギ人
生命体218 - タラクシア人
生命体329 - ケイゾン人
生命体3259 - バルカン人
生命体5618 - 人類
生命体8472 - 種族名不明
正式な種族名が判明していないものを含めると、西暦2376年の時点で、生命体番号は10026まで存在していることが、『スタートレック:ヴォイジャー』において語られている。なおケイゾン人は文明レベルが低く、同化する価値がなかったとセブンが語っている。

ボーグの天敵
ボーグの技術力は作中に数多登場する異星人の中でもずば抜けて高度なものであり、Qや預言者などすべての物理法則を無視して活動できる高次元生命体を別とすれば、正面決戦でボーグに打ち勝つのは極めて困難である。実際の所、ボーグの侵略は大抵が一方的なもので、抵抗らしい抵抗を為しえた種族は少ない。しかし、ほぼ無敵と見なされているボーグにも、強敵と呼べる種族は存在する。

生命体8472
『スタートレック:ヴォイジャー』に登場。ブラックホールを通じてアクセスできる「流動空間」と呼ばれる異次元に生息する生命体で、高度に発達した肉体とテクノロジーを持つ。彼らの遺伝構造や生理機能は、ボーグの同化機能を寄せ付けない強力な免疫力を備えており、また強力なテクノロジー(主に生体なおかつ兵器関連)は、ボーグがそれまでに収集した知識では対応不可能あった。
ファーストコンタクト後に同化を試みるが失敗、執拗に追い詰める生命体8472の反撃の前に一方的な敗退を余儀なくされたボーグは、一時的なものとは言え、宇宙艦隊所属ながらデルタ宇宙域で単独行動中のヴォイジャーと同盟を結ぶと言う、普段の彼らからすれば考えられない行動を取らざるを得ない状況にまで追い込まれた。ボーグと正面から戦い、これを一方的に打ち破ったのは、これまでの所生命体8472だけである。
生命体5618
人類、すなわち我々のことである。『新スタートレック』(小説『宇宙大作戦?スタートレック8・ファーストコンタクト』)以降、ボーグはテクノロジーレベルもそこそこ高く生命力にあふれ活動的な人類の同化を執拗に目論んでいるが、テクノロジーや正面決戦ではボーグの優位は明らかであるにも関わらず、これまでの所はウルフ359の戦いで艦隊に大打撃を与えたことを除けば、小規模なコロニー単位の制圧以上に大きな成果は得られておらず、逆に新たに伸ばした勢力部分を集中的に攻められて後退を余儀なくされるなど、一進一退を繰り返している。
豊かな個性や強い意志、あるいは他種族ともうまく連携して継続的かつ多彩な方法で挑んでくる人類(惑星連邦)は、個性を持たないボーグにとって、ある意味では生命体8472のような圧倒的な力量を持つが単純な力押しで巻き返してくる相手よりも厄介な存在と言えるのかもしれない。なお人類とボーグ・ドローンとの接触では、上に述べたブルー(ヒュー)のように逆に影響されてしまったり、もしくはボーグ社会から孤立状態にあるドローン集団への援助を行ったりといった奇妙な相互関係も発生、この辺りがボーグの画一的な他勢力への対応では処理できない部分となっている様子も見られる。
物理的な技術を持ってボーグを撃退したのは、今のところは惑星連邦と生命体8472だけである。特にDS9以降では、ディファイアント級およびソブレイン(ソヴェリン)級航宙艦やプロメテウス級航宙艦、パルスフェイザー、量子魚雷などの対ボーグ技術が多く登場している。

ウルフ359の戦い
スタートレック ファーストコンタクト
サムライアリ
スタートレックに登場した異星人の一覧
ゾンビ
しばしば同作品ファン筋からは、ボーグの血色の悪さと妙な動きとにより、「機械ゾンビ」だなどとも言われる。
ポスビ
世界最長の長編SFシリーズ宇宙英雄ペリー・ローダンの第100?149話に登場する半機械生命体ポスビは、種族全体で一つの意識を共有しており個が存在しないという設定や、全ての銀河系生命体を敵視して機械剥き出しの超巨大キューブ型の無敵の宇宙船で侵攻してくる点など、様々な点でボーグに酷似しておりボーグのモデルとも言われている。

2009年02月03日

応永の外寇

応永の外寇(おうえいのがいこう、朝鮮では己亥東征と称す)とは、日本史の時代区分では室町時代の1419年(応永26年)に起きた、李氏朝鮮軍による対馬国襲撃をさす。対馬の糠岳(ぬかだけ)で戦闘が行われた事から糠岳戦争とも。
シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス

14世紀前後の北九州から朝鮮半島、中国沿岸などでは日本人、中国人や朝鮮人らの多民族構成とする倭寇(前期倭寇)が活発化し、日朝貿易においては朝貢貿易に加えて民間貿易も許可されていたため、東アジアの海上世界は民族雑居状態が存在していた。 倭寇の中心的活動の一つで拠点であった前期倭寇当時の朝鮮半島は李氏朝鮮が成立直後であった事もあり、自立的な治安維持能力が不足し倭寇活動を抑制する事が困難であった。そこで李氏朝鮮は高麗時代からの民族雑居状態の解消と、官営貿易で利益を独占する事を望み、室町幕府や九州探題、対馬の実質的な支配者である宗貞茂に対して倭寇および私貿易の取締りを要求した。 しかし、倭寇の取り締まりを積極的に行っていた宗貞茂が1417年9月、病に倒れ翌1418年4月に病没し、宗貞盛が跡目を継ぐと、若年の当主のため対馬の周辺海域の警察力が弱体化し、活動を抑制されていた倭寇は再び活発化し、日本や朝鮮で多大な被害が出ていた。

軍事行動
李氏朝鮮では前年に世宗が即位していたが、実権は太宗が握っており、太宗は倭寇撃退を名目にした対馬遠征を決め、永楽17年(西暦1419年)6月、李従茂率いる227隻、17,285名の軍勢を対馬に侵攻させた。この時期は対馬の有力者が明などに渡航し不在であることを知り、また同時に朝鮮国内の在留商人らを一斉に抑留するなど、防備の弱体に乗じ一般民衆を標的にした周到な計画であったことが知られる。また、太宗は号令の中で「古書によれば対馬は慶尚道に隷属する」と根拠に欠ける主張を掲げた。6月17日に巨済島を出航したが逆風ですぐに引き返し、6月19日に再出航している。朝鮮軍は6月20日昼頃に対馬の尾崎浦(朝鮮王朝実録には豆知浦とある)附近へ上陸。一帯の一般船舶129隻を焼き払い20隻を奪い、民家1939戸を焼き払い、また104(実録には首級114)の島民を殺害したとされる。しかし6月26日頃には、仁位郡(実録では尼老郡)で対馬側の伏兵に遭い多大な損害を受け、李従茂の軍は尾崎浦まで退却、戦局は膠着状態に陥った。6月29日に朝鮮側は宗氏に対して対馬の属州化などを要求する使者を送るが宗氏に拒絶された。

戦況は対馬側の反撃により膠着し、損害の大きくなった朝鮮側は対馬側の和平提案を受け入れ7月3日に巨済島へ全面撤退した。朝鮮側の被害は日本の資料では死傷者2500以上、世宗実録では6月29日の記録では死者百数十人、7月10日の記録では180人とされている。しかし総数の1%程度の被害で和平を受け入れるとは考えにくく、敗戦と自ら明記していることからも、実際の被害はもっと多かったと思われる。8月5日の記録では日本の戦死者20人に対し朝鮮側が百余名とされており、正規軍での対戦では朝鮮軍は日本軍に歯が立たなかった。このような弱小ぶりは、保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」という記録や、朴実が敗戦の罪により投獄され、李従茂が国民への影響を理由に免罪となった記録事からも窺える。

また7月3日の黄海道沖に中国からの倭寇数十隻が沿岸を荒らし回っていると言う報告を受け、これを口実にした対馬再征も検討されたが実行されなかった。

翌年には日本と和解し、回礼使として宋希璟が派遣された。

この事件により対馬や北九州の諸大名の取り締まりが厳しくなり、倭寇の帰化などの懐柔策を行ったため、前期倭寇は衰退していく。なお、この事件の報が日本本土に伝わった際、元寇の再来との憶測が流れた。そのため、室町幕府は事実究明のため朝鮮へ使者を送り、その真偽を確かめさせた。

清の徐継畭の『瀛環志略』や李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の原因は日本に対する侵略行為(元寇)を行った高麗(朝鮮)への報復である、と記述されており、応永の外寇以前の前期倭寇は局地的な奪還・復讐戦であるとして『倭寇』と呼ばず、これ以降の後期倭寇を『倭寇』と考える説もある。

韓国人による対馬領有権主張との関連
2005年(平成17年)6月17日、大韓民国慶尚南道馬山市では、毎年6月19日を『対馬の日』とする条例が宣布され、400人以上の市民が参加し『宣布式』が催された。突然の報に日本と韓国政府は驚きを見せたが、直前に島根県が制定した『竹島の日』への報復的な意味合いがあったと見られる。日本は相手にせず、韓国政府は馬山市に対して撤回を求めた。6月19日は、『討伐軍』が馬山浦から出航した日である[1]。 韓国人の間では、対馬は朝鮮王朝の属国であり、韓国に領有権があるとの主張がなされることがあるが、その根拠の一つに、応永の外寇における対馬への『倭寇討伐』が上げられている。だがこの遠征は倭寇制圧を目的とした侵攻に過ぎず、対馬の属州化要求も対馬が朝鮮の形式的な『外藩』であることを再確認させ倭寇を禁圧させるためのもので、恒久的な属国化を図る朝鮮側の意思は見出しがたい。また朝鮮軍は戦線膠着のため撤退し、その後の交渉で合意・実現に至ったのも倭寇の取り締まりであり、この遠征を理由に対馬を朝鮮の属国と見做すことは非常に論拠が薄い。この史実との矛盾点に対し、馬山市の正式な解釈は示されていない。

2006年9月17日、韓国国防部の戦史編纂研究所は、李氏朝鮮までの軍事戦略を分析した資料3冊を発刊し、うち「朝鮮時代の軍事戦略」編で応永の外寇の分析を行った。それによると、軍事的には『討伐』には失敗したが、「対馬は土地が不毛で生活が苦しい。島民を巨済島などに住まわせ、対馬を朝鮮領土と見なして州郡の名称と印信を賜れば、我々は適切に臣下の礼をもって命令に従う。」との降伏文書を出させたとし、政治・外交的には成功したと結論付けた。1420年7月、李氏朝鮮が宗氏に「宗氏 都都雄瓦」という印信を授け、対馬領主としての地位を認たことは失敗であり、その時に李氏朝鮮が対馬の自治権を認めず、役人を派遣して直接支配下に組み込んでいれば、現在の対馬は韓国領になっていたはずだと結論付けた(2006年9月17日聯合ニュース配信)。

世宗実録で自ら敗戦と明記していることや、世宗実録1420年閏1月10日には「時応界都が言うには(曰)」と記録されており、上記の降伏文書にあたるものは見あたらない。更に時応界都(辛戒道)は偽使者とされており、1421年4月7日に正式な宗氏の使者である仇安里が「時応界都(辛戒道)の言ったことは妄言である。対馬を攻めるのは日本を攻めるのと同じだ」と強く否定している。また、日本に派遣された朝鮮の回礼使の宋希璟は「日本国王が喜ぶと思ってやったこと」と釈明しており、外交的にも失敗だったと考えられる。戦史編纂研究所の分析は、世宗実録の敗戦記述を無視して偽使者の言葉のみを取り上げており、意図的に史料を歪曲して解釈している疑いがある。

また、2007年7月13日には、金成萬(キム・ソンマン)前海軍作戦司令官(予備役海軍中将)が、Korean National Security Netで日本の防衛白書の竹島領有問題の記載に対しての反論および、対馬侵略計画を作成するよう主張している[1]。2008年には韓国国会議員50名による対馬島返還要求決議案が韓国国会に提出され、韓国国民の50%が支持している。

大塔合戦(おおとうがっせん)

大塔合戦(おおとうがっせん)とは、応永7年(1400年)に信濃守護職小笠原長秀と有力国人領主の連合軍(大文字一揆)との間で起きた善光寺平南部での合戦。守護側が大敗し、以後も信濃国は中小の有力国人領主たちが割拠する時代が続くことになる。
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信濃国は、鎌倉時代のほぼ全期間を通じて北条氏が守護職を独占しており、鎌倉時代が終焉を告げた後も「中先代の乱」に信濃の御家人が主戦力となるなど、北条氏の勢力が強い地域であった。そんな中にあって、元々は甲斐の加賀見氏(武田氏と同族)から別れ信濃各所に勢力を保持していた小笠原氏は、早くから足利氏に加勢し、建武2年(1335年)に小笠原貞宗が信濃国守護に任命される。しかし「中先代の乱」により船山守護所を襲われた青沼合戦では警備をあずかる市河氏らが奮戦するも敗走。国司が自害に追い込まれるなどがあって、信濃の管理は幕府に移されてしまった。

しかし、その後の足利尊氏と足利直義の兄弟対立による観応の擾乱は信濃の国人領主達をも二分して各所で抗争を引き起こした。そして守護職が斯波氏の時代に代官二宮氏の命に抵抗したり、その篭城する横山城を攻め落としてしまった。また制圧されはしたものの時の守護を兼ねた関東管領上杉氏の攻撃に対して、これを迎え撃って合戦に及ぶ事件なども続いた。

その後、長く続いた南北朝の争いで北朝方として戦い、足利将軍家から信濃守護家として遇された小笠原氏が念願の信濃守護に補任されるのは応永6年(1399年)であった。

発端
応永7年(1400年)7月3日京都を出発した小笠原長秀は北信の中心である善光寺に入り、信濃の国人領主達を召集して対面する。この時の対面は、相当に高圧的なものだったと伝えられている。そしてちょうど収穫の時期となっていた近隣の川中島で、守護の所領として年貢の徴収を開始する。

川中島は本来小笠原氏の所領であったが、当時は村上氏が押領していた地であり、守護の一存で所領が左右されることは多かれ少なかれ押領地を有する他の国人領主にとっては認めがたく、多くの国人領主たちを反小笠原に決定付けることとなった。

戦局
守護小笠原氏に反旗を翻したのは、村上氏のほかに中信の仁科氏・東信の海野氏や根津氏を始めとする滋野氏一族・北信の高梨氏や井上氏一族など大半の国人衆で、小笠原氏に加勢したのは一族以外では元々地盤としていた南信地方を中心とした一部の武士たちだけだったとされる。また小笠原一族内でも、長秀の高圧的な態度に反発して参陣しなかった者が続出したとされる(後に仲介役となる大井氏など、ほぼ半数が加勢しなかったとされる)。

上田市立博物館所蔵の「大塔物語」によれば、長秀の下に集まった小笠原勢は800騎余りで、対する国人衆(大文字一揆)は、篠ノ井の岡に500余騎(村上氏)、篠ノ井塩崎上島に700余騎(佐久地方の国人衆)、篠ノ井山王堂に300余騎(海野氏)、篠ノ井二ッ柳に500余騎(高梨氏、井上一族など須坂・中野地方の国人衆)、方田ヶ先石川に800余騎(仁科氏、根津氏など大文字一揆衆)が布陣したとの記載がある。この”騎”というのは何人もの家来を連れた武士のことで、実数は4千弱の小笠原勢に対して国人衆は1万以上の兵力だったと推定されている。

この状況に横田城では防ぎきれないと判断した長秀は、一族の赤沢氏の居城である塩崎城への秘かな脱出を目指すが、途中で発見され塩崎城に辿り着けたのは長秀以下僅か150騎のみで、300騎余りが途中の大塔の古城(古砦)に辛うじて逃げ込んだ。しかし、食料を始め何も準備していない古城(廃城)では篭城する術も無く、取り残される事となった小笠原勢は全員が自害か討死して果てる。

更に長秀が逃げ込んだ塩崎城も攻撃を受け、同族で守護代の大井光矩が仲介の手を差し伸べたことで辛くも窮地を脱し、長秀は京都に逃げ帰った。

大塔の古城(古砦)
「大塔の古城」の場所については、現在の篠ノ井にある大当地区にあった館跡が定説とされていた。大当地区の東方約500mに当たる御幣川地区にある宝昌寺はこの合戦の多くの戦死者を葬った所との伝承がある。

しかし、当時の大当地区を含む現在の長野市篠ノ井から千曲市北部(旧更埴市)にかけては、千曲川に犀川からの御幣川(現在の岡田川)や聖川が合流する低湿地の池沼地帯であったとされ、古くは平安時代から度々大洪水の記録[1]が残されている地である。

定説となっていた館跡は、寿永元年(1182年)の横田河原の戦いで使われた砦跡とする説もあり、その説だと200年余も経ている。更に「大塔の古城」に立て篭もった守護勢が壊滅したのは十月二十一日とされ、合戦が行われた九月二十五日から一ヶ月近く経過しているため、微高地とはいえ低湿地の中の荒れ果てた館跡(廃墟)で一ヶ月も持ち応えるのは不自然だとする異論が存在する。

現在では大当地区の西方約2キロにある二ッ柳城(現在の二ッ柳神社)を「大塔の古城」に比定する説があり、更に西に400mほどの距離にある夏目城(現在の湯入神社)も近いことから両方との説もある。共に大当地区を見下ろす山際の傾斜地にあり、後の発掘調査により当時は廃城となっていた事が確認されている。

ただ、この説に対しても、この二ツ柳方面には、合戦前に500余騎の須坂・中野地方の国人衆が、方田ヶ崎石川(夏目城)方面にも仁科勢等800余騎が布陣していたと伝えられることから、逃げ込む先として考えるには不適当だとする向きもある。

守護方として参陣した市河六郎頼重の記録(「市河文書」)には、「二柳城においての戦功」に対して小笠原氏に恩賞を求めた記述が残されているが、この戦功が「大塔の古城」で挙げたものかは不明であることから、今も場所の特定には至っていない。

注記
^ 千曲川は江戸時代を通じて64回の洪水があり、その内の11回は犀川との同時洪水であったと伝えられる。仁和4年(888年)(あるいは仁和3年)に千曲川の大洪水があったことが『類聚三代格』や『日本紀略』・『扶桑略記』といった文献に見られ、江戸時代にも寛保2年(1742年これ以後の洪水砂層でも2m)や弘化4年(1847年)の善光寺大地震に伴う犀川の大洪水が記録に残されている。これらは、後の発掘調査(昭和36年?40年、更埴市条里遺構の学術調査)で4mもの洪水砂層が確認されて実証された。